心電図は、今では器械も非常にコンパクトになり、簡単にとれるようになりましたが、20世紀はじめに作られたときは、部屋を2つ占領するような巨大なものだったのです。電気が系統的に研究されるようになったのは1600年頃からで、生理学の分野に電気が登場するのは18世紀の後半のことです。
イタリア人医師ガルヴァーニが、カエルの坐骨神経を電気で刺激すると筋肉が収縮することを発見します。これによって神経刺激は電気によるものではないかと考えられるようになります。心臓に電気活動があることは、1856年にコリカーとミュラーによる実験で証明されます。坐骨神経がついた状態のカエルの後ろ足を用意し、坐骨神経の断端を拍動している心臓に載せると、神経を電気刺激するのと同じようにカエルの筋肉が収縮しました。心臓に電流が神経を介して伝わり、筋肉が収縮したわけですが、微弱な心臓の電流が検出できたのは、筋肉という天然の優れた増幅装置がついていたからです。次にどのようにすればヒトの心臓の電気活動を記録することができるかが問題となります。そのために必要だったのが、微弱な電流を捉える電流計です。
19世紀後半に大西洋の海底ケーブルが企画された際に、微弱な電流を増幅させる技術が開発され、これが現実のものとなります。1903年オランダ人生理学者アイントホーフェンが、電流を電線の動きに変換し、その動きを660倍に拡大し、フィルムに投影することで初めて心臓の電気活動を記録することに成功します。このとき0.1mVの振幅を1mmに、フィルムの移動速度を毎秒25mmにしたことは、現在の心電図にそのまま受け継がれています。アイントホーフェンはこの業績によって、1924年ノーベル賞を受賞します。彼の作った装置は重さが350kgもあり、記録するのには、5人の人手が必要という大掛かりなものでした。研究室からは運び出すこともできないので、大学病院との間に1500mもの電線を敷いて信号を送りました。
1907年には「進化論」のダーウィンの息子であるホレス・ダーウィンが社長を務めるイギリスの科学機器メーカーとの共同開発によって、小型化された心電図計が考案されます。1929年にドイツで真空管式の心電図形が製作され、小型化が一気に進み、携帯可能となります。1948年には電気回路を交流化し、記録法も熱ペンで直接記録するようになり、急速に世界中に普及します。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第527号 平成17年6月15日 掲載
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