現代の医学では米国が先進的な地位にありますが、それは第一次世界大戦後からのことで、それ以前はヨーロッパが医学の中心でした。米国医学の発展の草分けとなるのが、ウィリアム・ハルステッドで、近代外科学の巨人ともいえる数々の功績を残しています。
ニューヨークの上流階級に生まれ、社交的で快活なハルステッドは、ヨーロッパに留学し、優秀な外科医となり1880年に帰国します。リスター(前々回に紹介した英国の外科医)から受け継いだ無菌法を実践するため、病院の敷地に大きなテントを張って自分専用の仮設手術室を作り周囲を驚かせます。その後、外科医の教育システムを作り、速さよりていねいさを重視した手術操作を広め、正常な機能の回復を目指した術式を数多く確立します。
彼の人生を暗転させるのは、局所麻酔の研究です。局所麻酔は1884年にコカインを点眼して、眼の角膜が無痛状態になることが発表され、急速に広まっていきます。コカインは南アメリカのコカの葉から抽出された物質で、ペルーの先住民には、重労働の際にコカの葉をなめる習慣が数百年前からあったように、強い興奮作用のある麻薬の一種です。実はあのコカコーラも1903年までコカインが含まれていたのです。ハルステッドは自分の身体を使ってこの効果を調べたため、コカイン中毒になってしまいます。この時期に彼と一緒に研究していた人々は全て人生を破滅させてしまいますが、ただ一人ハルステッドだけは薬物依存の呪縛と戦いながら復活し、偉大な業績を残します。まさに不死鳥と呼ぶにふさわしい偉人です。
彼の功績の中で忘れてはならないのは、手術用のゴム手袋を導入したことです。今では素手で手術をするなどということは皆さんも想像されないでしょうが、 1890年頃米国のジョン・ホプキンス病院でゴム手袋が使われるまでは素手で手術をしていました。当時は手術前の手洗いに昇汞(塩化第2水銀)が使われていましたが、それによって起こる皮膚炎に苦しんでいた手術室の看護師がいました。非常に優秀であった彼女の職を失わせたくないと考えたハルステッドは、グッドイヤー社に薄いゴム製の手袋を作らせます。これが好評で外科医にまで広まっていき、その後世界中で使われるようになるのです。この女性は、キャロライン・ハンプトンといい、後のハルステッド夫人です。この事実は消毒薬の刺激作用について述べられた論文の中に記載されており、研究者の恋愛の始まりが医学雑誌に記録されたという珍しい例です。かなり風変わりな二人でしたが、相思相愛の結婚生活だったそうです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第537号 平成17年11月15日
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