傷を乱暴に扱うと、治癒が遅れ、合併症が増えることは、現在では常識とされていますが、この考え方が定着するのは、16世紀にフランス人外科医アンブロワーズ・パレが、戦場で傷の治療を行ったことがきっかけになっています。
当時は、火薬によって毒された傷は、沸騰した油で消毒しなければならないと堅く信じられていました。貧しい家具職人の息子だったパレは、理髪外科医と呼ばれる下請け作業をする身分の低い医師(当時は医師とは内科医のことであって理髪外科医は医師とは認められていません)の元で修行し、26歳で軍医としてイタリア戦争(1495-1559)に従軍します。
この戦争から本格的に大砲が使われたため、多数の負傷者がでて、油が不足してしまいます。そこで、パレはやむなく卵黄と油で作った塗り薬を傷に当ててみることにしました。これは当時としては、常識はずれの大きな賭けであり、失敗したら責任を問われ、彼の将来はどうなっていたかわかりません。翌日、負傷した兵士を見回ると、塗り薬で治療されたものたちは痛みがなく傷の炎症も軽かったのに対して、沸騰油で治療されたものたちは熱が出て激しい痛みに苦しみ、傷は赤く腫れあがっていました。
彼は自分の経験を「創傷治療法」として、1545年に出版します。それまではラテン語でしか書かれなかった医学書を、平易なフランス語で著したので、ヨーロッパ全土で翻訳され、以後200年間は外傷外科の標準的な教科書となります。その後に出た「パレ全集」は、1670年頃にはオランダ語から翻訳され、わが国にも伝えられます。
その他にも、足の静脈瘤が原因できた皮膚の潰瘍を、静脈瘤を切除することによって治癒させたり、手足の切断の際に焼きごてを使って止血していたのを、血管を一本一本縛って止血を行ったり、近代外科の基本となる数々の業績を残しています。さらに、特筆すべきもう一つの遺産は、「人間的な思想」です。人道的な精神と高い倫理観、率直な態度、迷信に惑わされない客観主義、創造性・自主性・合理性の尊重など、どれをとっても当時としては奇跡的な存在です。「我は包帯し、神が治癒させる」は彼の有名な教えです。「治すことはたまにしかできない。軽減することはしばしばできる。なぐさめ励ますことはいつでもできる」という名言は、現代の医療に携わるものこそ、肝に銘じておかなければなりません。貧しい職人の家庭に生まれながら、国王の侍医にまで上り詰めた彼は、4人の国王に仕えた後、80歳で静かに世を去ります。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 平成18年1月15日 掲載
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