生きた人間の胃に初めてメスが入るのは、17世紀初頭のチェコのプラハでのことです。フロリアン・マチスという外科医が、誤ってナイフを飲み込んでしまった曲芸師の胃を切開してナイフを取り出し縫合したところ、数週間で奇跡的に回復します。
胃の研究が進むのは19世紀になってからで、大きな貢献をするのが、米国の軍医ウィリアム・ボーモンです。1822年、銃が暴発して左上腹部に銃創を負った猟師を治療し、命は取り留めますが、胃に穴があき皮膚に開いた状態になってしまいます。その穴は人差し指が入るくらい大きかったので、そこから胃液を採取し、食べ物を取り出したり入れたりして、1834年に「消化作用の生理学」という名著にまとめます。この業績が19世紀後半に胃瘻という形で実を結び、口から食べられなくなった人への栄養の経路として活用され、今日ではお腹を切らずに内視鏡を使って作るようになりました。
胃の研究が進むにつれ、出口が閉塞した患者に、その原因である腫瘍(胃癌)を取り除き、胃と腸をつなぎ合わせる手術が考案されます。1879年に史上初の胃切除が行われますが、患者は5日目に死亡します。胃切除を初めて成功させるのは、オーストリアのテオドール・ビルロートで、1881年に胃癌のために食べられなくなった30歳の女性を手術します。14リットルのお湯で胃を洗浄し、手術室を20℃に暖め、1月29日歴史的な手術は始まります。お腹を横に切り、リンゴ大の病変を持ち上げ、周囲の血管を切断し、病変から数p離して胃を部分的に切除し、残った胃と十二指腸を絹糸50針でつなぎ合わせます。手術はわずか1時間30分で終了し、患者は4ヶ月後に癌の再発で死亡しますが、術後経過には何の問題もなく、再び食事ができるようになります。その後彼は10年間に41例の胃切除を行い、19例を成功させます。また、第一例の手術直後から、胃と小腸を吻合する手術にも取り組み、後にこれが胃や十二指腸の潰瘍の手術に応用され、大きな成果を挙げるのです。
ビルロートは、その他の手術でも先駆者となり、近代外科の巨人と呼ばれています。作曲家のブラームスと親交が深く、バイオリンやピアノをプロ並みに演奏します。外科医にとってもピアニストにとっても指は長い方がよいのですが、意外にも彼の指はとても短かったそうです。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第549号 平成18年5月15日 掲載
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