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院長コラム

Vol.19 脳神経手術の始まり

 19世紀中頃までは「脳は全体が同等で、一部を切り取っても残りの部分で精神と肉体のすべての機能が代行できる」と信じられていました。これに異議を唱えるのは、フランス人外科医ピエール・ブローカで、1861年に何年も言葉が話せなくなったまま死んだ女性を解剖し、脳の一部が軟化しているのを発見し、ここに言語中枢があり、他にも様々な機能中枢が集まったものが脳であり、感覚や運動は脳のそれぞれ部分によって制御されていると主張します。

 1870年に、英国のヒューリングス・ジャクソンは、脳にはいくつもの運動中枢があるという説を唱えます。これは、翌年に、弱い電気で脳を刺激すると、刺激する部位によって反応する筋肉が異なるというイヌを使った実験で証明されます。そして、1881年に、猿に半身麻痺や聴力を失わせることに成功して、広く受け入れられます。

 1884年にジャクソンは、頭痛と嘔吐と左半身のけいれん発作のある25歳の男性を脳腫瘍と診断します。当時は脳神経外科医という職業はなく、外科医リックマン・ゴドレーに手術を依頼します。11月25日、史上初めて脳の手術が行われますが、その病院には手術室もなく、広い病室の一角が使われます。CTはおろか普通のレントゲンもない時代で、術前に本当にそこに病変があるかはわかりません。開頭してみると、表面には病変はなく、誤診かと思われましたが、ゴドレーは勇敢にも脳実質にメスを入れ、鳩の卵大の腫瘍をみつけ切除します。患者は1ヶ月後に創部の感染から髄膜炎を併発し死亡しますが、術前にあった頭痛やけいれんは完全に消失し、左上肢が麻痺した以外、運動機能も完全に回復します。

 外科医と神経学者を兼ねる脳神経外科医に世界で初めてなるのは、ヴィクター・ホースレーです。1886年に10例中9例の脳手術を成功させた彼は、 1887年には治療法がないといわれていた脊髄腫瘍に挑みます。両下肢のマヒと痛み、そして尿と便の失禁に苦しんでいた42歳の男性の脊髄にできた青紫色のアーモンド大の腫瘍を摘出します。術後4日目から下半身の感覚が、2週間後には運動が改善し始め、2ヶ月後には松葉杖で歩き、8ヶ月後には職場復帰を果たします。

 脳神経手術は、19世紀末には死亡率が高く、一時英国では禁止されます。その後、米国のハーベイ・クッシングが、脳手術の死亡率を1930年には5%にまで低下させます。

院長 笹壁弘嗣

新庄朝日 第557号 平成18年9月15日 掲載

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