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院長コラム

Vol.23 52歳の老婆?

 「52歳の老婆、都電に轢かれて死亡」、昭和28年の新聞の三面記事にあった見出しです。今では「老婆」という言葉が使われることはないでしょうが、少なくとも当時は、50代後半の人は立派な高齢者だったのです。

 我が国は世界でも有数の長寿国で、平成17年の平均寿命は、男が78.5歳で女が85.5歳です。ところが、昭和20年には、男女それぞれ50.1歳と 54.0歳で、明治25年には、42.8歳と44.3歳でした。つまり日本人の平均寿命は、過去60年間で約30歳、100年間で約40歳伸びたわけです。それ以前の時代には正確なデータはありませんが、成人はおよそ、江戸時代で45歳、室町時代で33歳、縄文時代で31歳くらいまで生きたようです。近年になってからの伸びがいかに大きいかがわかるでしょう。この理由は、一つは乳幼児死亡が減ったこと、もう一つは高齢者の死亡が減ったことです。

 生後1年以内の乳児が死亡する頻度は、昭和22年には、出生1000に対して76.7でしたが、昭和35年には30.7、昭和50年には10.0となり、平成16年には2.8にまで減少します。妊産婦の死亡も、昭和30年には10万回のお産に対して161.7人が亡くなっていましたが、昭和50年には 27.3、平成16年には4.3にまで減少しています。

 80歳以上の高齢者は、昔は少なかったので、周りにたくさんいる若者から大事にされたのですが、今は若者が少ないわりに高齢者が珍しくなくなったので大事にされにくくなりました。実際私の勤務する病院でも入院患者さんの半数以上が80歳以上の方です。

 このような長寿社会に生きている私たちは、ともすれば不老不死を手に入れたような錯覚に陥っていないでしょうか。今でも360人の赤ちゃんのうち1人は誕生日までに死に、約2万5千回の出産に一度はお母さんが死亡するのです。高齢者が増えたとはいえ、120歳を越えた人は世界でこれまでに2人(フランス人女性と日本人男性)しか確認されていません。

 昔は老いる前に死んでしまう人が多かったのですが、今は死ぬまでに十分な長さの老いを経験しなければならないことが多くなりました。だからこそ、その長い時間をいかに生きるかが大事なのではないでしょうか。不老不死を前提として、いたずらに健康情報に振り回されるのは悲しいことだと思いませんか。人が死ぬことが珍しくなり、しかも80%以上の人が病院で死ぬ現代は、死を実感しにくい時代です。せめて老いの長い時間を「死の準備期間」としてうまく活用したいと思いませんか。如何に死すべきかを抜きにして、如何に生きるかはないと私は考えます。

院長 笹壁弘嗣

新庄朝日 第571号 平成19年4月15日 掲載

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