■ 医療崩壊と患者の立場
近頃「医療崩壊」という言葉をよく耳にする。もともとは2006年に虎ノ門病院泌尿器科部長である小松秀樹先生が上梓した本のタイトルから広まったものと記憶している。医療を受ける側の過大な要求に耐えられなくなった医療者が、リスクのある医療現場から立ち去っていく現象を、冷静に分析した好著である。その中では、マスコミや司法の責任も追及されているが、医療側の抱える問題も厳しく指摘されている。
第二次大戦後の経済成長がもたらしたものの1つに「消費者第一主義」がある。要するに「お客様は神様です」という精神を、サービスの受け手と送り手が当然であると考えるようになった現象です。医療の世界でも、医療の持つ密室性や排他性などに対する反省として、また医療機関の生き残り戦略として、「患者中心医療」、「患者さんに選ばれる病院作り」、「安心・安全な医療」などのキャッチフレーズがさかんに生み出された。その中で医療者側が盛んに使うようになった言葉に、「患者さんの立場に立って」というものがあるが、私はこの言葉に強い違和感を持ち続けている。
■ 立場とは?
「立場」とは何だろうか。立場とは「立っている場所」である。同じ人間でも立っている場所が違うと、意見が180度変わることが珍しくない。卑近な例を挙げる。A地点からD地点に行く、その間B駅とC駅で乗り換えが必要であるとしよう。A地点からB駅にはバスで向かったが、バスが故障したため急遽タクシーに乗り換えた。しかし、予期せぬ交通渋滞に巻き込まれ、予定の電車には乗り遅れてしまった。次の電車でも何とかギリギリ間に合うので急いでホームに向かったところ、まさにその電車のドアが開いて、発車のベルが鳴っている。必死で走るあなたはどう思うだろうか。「ドアよ、閉まらないでくれ!」と思うだろう。幸いにして電車に乗ることができた。ほっとして振り返るとあなたと同じように必死で走ってくる人が続いている。しかし、この電車ではC駅での乗り換えに間に合わないかもしれない。さて、あなたはどう思うだろうか。おそらく「ドアよ、早く閉まれ!」と思うだろう。たとえあなたと同じ思いの人が続いたとしても。つまり、ドアの内側と外側というわずか1メートルの場所の違いで、考え方は180度変わってしまうのである。
私は「患者さんの立場に立って」と軽々しく言うことができない。生まれてからどのように生きてきたか、どんな家族がありどんな仕事をしてきたのか、生老病死をどうとらえているか、人生においてどのような優先順位をつけているのか、そのようなことがわからない他人が、癌になったとして、また、急に脳梗塞で半身麻痺になったとして、その人の立場に立つことなど不可能である。もちろん私も医師を目指した動機に、「病める人の苦しみを和らげたい」とか「人様のお役に立ちたい」といった思いは人並みにあるつもりだ。しかし、専門的な医学知識があり、多くの病気やケガの人を診、多くの死を看取り、生老病死について日頃から真剣に考えている私でも、やはり患者さんの立場には立てない。これは私がこれまで大きな病気やケガをしたことがないからではない。わかり合うことができない他人の立場には立てないのである。
■ わかり合うということ
そもそも人と人がわかり合えるということは、どの程度可能なのだろう。昨年、母が急死した。死後、「私の知らなかった母」の姿をいくつか見ることがあった。無学な母は、裕福でない生活の中で、末っ子の長男である私を生み育て、内職をして学費の足しにしてくれた。そんな母に感謝しつつも、ある種の見下した思いを小学校高学年から持っていた。愚かな母のことなどすべてわかっているつもりだった。しかし、実はほんの一部しかわかってなどいなかったのである。衝撃的だった。改めて自分の愚かさと傲慢さを思い知ることになった。しかし同時に、生前よりも母のことが好きになった。いとおしくなった。感謝の念も深まった。おそらく今入院中の父のことも私は少ししかわかっていないのである。50歳になり、わたしはようやくこの程度の進歩を遂げることができた。
親兄弟でも、子供でも、配偶者でも、わかっているのは実はほんの一部にすぎない。ましてや他人のこととなると、はなはだ怪しいものである。だからこそ、部分的にでもわかり合えたときにはうれしいのである。歌手の吉田拓郎さんの「人生を語らず」という作品の1節に「わかり合うよりは、たしかめ合うことだ」というのがあるが、まさにその通りである。具体的なことを一つ一つ確かめあうことなら、私のような並の医者にもできそうである。
わかり合えないことで、自分や相手を責めてもしかたないのである。人口の流出が続く東北の雪深い地方都市で、医師が絶望的に少ない病院で休みも取れず、理想とはほど遠い医療しか提供できない悔しさを抱えている自分を、他人にわかってほしいとは思わない。と同時に、多くの心優しい職員といっしょに、地方の医療の一翼を担える喜びもわかるまいと思う。
4年前に突然都会暮らしから縁もゆかりもない東北の地に引きずり込んでしまった妻や転校を強いられた子供たちには少しすまない気持ちはあるが、こんな夫をこんな父をもったことを運命として受け入れ、今の環境で生きることをプラスにしてほしいと思う。でも実際、彼女たちがどう考えているかもよくはわからない。
■ 医療崩壊の中でできること
「医療崩壊」を食い止めるためにさまざまの方策が論じられている。医師不足に対して医学部の定員を増やす、医療ミスの刑事責任を追及せずに患者や家族を救済する、小児科や産婦人科の診療報酬を見直す等々、どれも必要なものであろう。ただ、この20年余りの日本社会は、みんなが幸せになれるシステムをつくろうと手間とお金をかけて、結局はみんなが不幸になっているように見える。システム作り以上に必要なものは日本人の精神構造の変化ではないだろうか。神戸女学院大学の内田樹先生は「現在の日本の社会的危機は、自分の身の回りに起こった不幸な出来事を全て他人のせいにするという他責的な発想だ」と看破している。考え方を変えることは、最も安価でおそらく最も有効な解決策だが、極めて困難なことでもある。
医療者は自分に向けられている不信感と同等あるいはそれ以上のものを医療の受け手に対して持っていることが少なくない。最善を尽くしても最高の結果が得られないことがあるという医療の不確実性、個々の医療にどれほどのコストがかかっているのかそしてそれは誰が負担しているのかというコスト意識、いずれ必ず人は死ぬという当たり前だが多くの人が考えなくなった事実、このようなものを、医療者も含めてどれだけ多くの人が受け入られるかが問題なのである。
医療者自身もいずれ必ず医療の受け手になる。その時に自分がかつて嫌っていた言動をすることもありえる。医療者は謙虚であらねばならない。私のような並の医者にできるのは、問題に誠実に立ち向かい、できることは全力でやり、できないことは正直にできませんと言うことだけである。結局、「患者さんの立場には立てませんが、できるだけ患者さんの立場を思いやって最善を尽くします」と言うことである。
思いやりをどれだけ持てるかは、感性によるところが大きい。多くのことを経験することは重要であるが、所詮ひとりの人間が経験できることは限られており、また経験したからこそ中途半端にしかわかっていない危険性がある。癌を克服した人の経験は、残念ながら多くの場合、他の人の役に立たない。よく有名人が癌を克服したことを誇らしげに語っているが、彼らが経験したことは癌にまつわる多くの面のごく一部でしかない。にもかかわらず一般論として癌を述べることにためらいがない。医聖ヒポクラテスの至言にも「経験は惑いを生み、判断は難しい」とある。経験を積んだからこそ間違うということ忘れてはならない。
感性をみがくために最も有効なのは読書である。読書では、古今東西の偉人と対話ができる。対話するために学力だけでなく体力も必要である。特に思春期の読書は、語彙を増やし、感情を多彩に表現し、現実に存在するものがあいまいなものが多いかを知る意味で特に重要である。体育会系で読書と無縁の思春期を過ごした私に最も欠けるのがこの部分である。それが母に対する傲慢な態度を生み出したような気がする。
■ おわりに
本稿は「医療最前線」というタイトルにはふさわしくない内容かもしれない。私は、医療の行く手を照らすヘッドライトにはなれないが、崩壊するかもしれない地方の医療の最後尾に灯るテールライトにはなれるかもしれない。この年になって感性を磨くことはできないが、乏しい感性で、もがき苦しみながら、これから生きていきたい。
院長 笹壁弘嗣
ザ・パーム 第30号 医療最前線54 平成20年10月15日 掲載
・過去に新庄朝日等に掲載されたコラムがご覧いただけます。