「死ぬほどの苦しみ」と言いますが、死ぬときはどれくらい苦しいのでしょうか。読者の皆さん同様、私も死んだことがないので正確には分かりませんが、27年間に多くの命を看取った印象は「それほど辛さを感じていないだろう」ということです。
死が近づくと呼吸は不規則になり、最期は下顎呼吸(かがくこきゅう)といって、口をパクパクさせ喘ぐような呼吸になります。下顎呼吸は、普段の呼吸には使っていない首やアゴの筋肉を使ってする呼吸のことで、脳が酸素不足になることによって起こります。また血液中の酸素が不足するとチアノーゼといって、唇や指先が紫色になります。
このような状況では、酸素吸入を行うことが多いのですが、それが意味のある医療行為であるかは疑問が持たれています。つい先日にもランセットという医学雑誌に、末期患者の呼吸困難に対して、症状を緩和するために行われている酸素吸入には有効性が認められなかったという報告がありました。実は、有効でないばかりか、有害であるかもしれないのです。というのは、酸素不足になると脳からエンドルフィンと呼ばれる麻薬のような物質がたくさん出て恍惚状態になるので、酸素吸入をすると苦痛は強くなっている可能性があります。さらに、呼吸が弱くなると血液中の炭酸ガスが増え、その麻酔作用のために眠った状態になるのですが、人工呼吸器で呼吸を管理してしまうと、この作用は期待できません。このように、データはよくなっても、本人のためにはなっていない可能性があるのです。末期状態の患者さんで酸素吸入が意味があるのは、本人に意識があり、酸素吸入をすることで自覚症状が楽になる場合に限られると私は考えています。
同じようなことが点滴にも当てはまります。患者さんが食べなくなると、ご家族から「点滴をしてください」と言われることがあります。口から入ったものはすべてが吸収されるわけではありませんが、点滴は強制的に吸収されるので、水分が過剰になることが少なくありません。そうなると、身体がむくむだけでなく、肺の中にも水分が多くなり、溺れた状態になるので呼吸は苦しくなります。
いずれにせよ死が目前に迫った末期状態の時には、余計なことはせずに、自然な形で看取ってあげるのが一番楽に死ねる道だと思います。植物のように枯れてゆく最期ー「やがて枯れゆく我が身」ーが私の理想です。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第655号 平成22年10月15日(金) 掲載
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