少し前の話ですが、ある殺人事件の被害者家族がテレビ局のインタビュアーの問いかけに対して、「一刻も早く自首していただきたい。」と答えていました。悲しみに暮れるご家族の心情を思うと、こんな指摘をするのは気が引けますが、これは二重に敬語を誤用しています。そもそも殺人犯に敬語は不要ですが、犯人を敬う気持ちがあったとしても、「自首してください」とすべきです。「〜いただく」は、「〜くださる」と混同されることが多く、私もしばしば間違うので偉そうなことは言えませんが、前者は自分の行為に対する謙譲語であるのに対して、後者は相手の行為に対する尊敬語と理解しています。
「〜いただく」は最近非常によく用いられる言葉だと思っていたら、作家の内館牧子さんが、「カネを積まれても使いたくない日本語」という著書でも取り上げ、これを「過剰なへりくだり」と述べていました。「戦争の悲惨さと平和の尊さをかみしめさせていただきました」や「被災地の皆さんの思いをしっかり受け止めさせていただいて」などの例を挙げ、特に政治家の言葉の酷さを指摘しています。
この現象は、若者に特有なものではなく、高齢者にも広まっている気がします。敬語の過剰な使用の背景には、人間関係を円滑にしてトラブルを最小限にするためには、とりあえず自分の立ち位置を相手より低くしておくのが無難だという思いがあるのではないでしょうか。間違いそのものよりも、間違いを起こす動機に問題があると思います。
売り手側の過剰なへりくだりは、消費者を不快にするか、もしくは増長させます。医療現場でも同じような光景が見られるようになりました。「患者様」を始めとする過剰なへりくだりから生まれた不快感は医療不信を、増長はクレーマーを生み出しました。その結果、医療者は患者の利益よりも、無難にその場を乗り切ることを優先し、最も大事な信頼関係を築くことがおろそかになり始めています。
医療を提供する者と受ける者の関係は、対等であるべきだとは思いますが、その専門性の高さを考えると、どうしても医療者が上に立つことが多くなります。医者がふんぞり返り、患者は奴隷のごとく扱われていた時代もありました。それは放置してよい状況ではありません。是正すべきであるという力が働いたのはいいのですが、今は振り子が反対に振れすぎようとしています。このままでは患者に媚びる医療者が増えていくでしょう。診察を終えるとき、「お大事に」ではなく、深々とお辞儀をされながら「毎度ありがとうございます。またお越しください。」と言われる日が近いかもしれません。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日 第741号 平成26年5月15日(木) 掲載
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