医学の日進月歩からは、明るい未来を想像しがちですが、強い光ほど濃い影を作るように、新たに深刻な問題も起こります。「新潮45」11月号に掲載された里見清一氏の「医学の勝利が国家を滅ぼす」という論文は我が意を得たりでした。近く認可される肺癌の免疫療法薬を取り上げて、今後の我が国の医療に勇気ある提言をしています。
注目すべきはこの治療のコストで、通常の抗癌剤治療(約60万円)はもとより、比較的新しい分子標的治療(年間250〜1000万円)を遥かに凌ぎ、年間約3500万円くらいになります。この薬はどの肺癌に効くかの予測が困難で、なおかつ治療の効果判定も簡単でないために、年間5万人くらいに長期間使用されることが予想され、2兆円程度の医療費が必要になります。日本では高額医療費負担制度によって多くの自己負担分が払い戻されるので、大部分が公的負担になります。現在の総医療費が40兆円、透析の医療費が1.5兆円であることを考えても、一つの病気の一つの治療に年間2兆円を費やすことが可能でしょうか。
新しい有効な治療が開発されても、全ての人が受けられないのであれば、患者を選別しなければなりません。米国型のシステムでは富める者が、共産主義国では権力者とその周辺が、選ばれます。社会に役立つ人を優先するのは正しいように思われますが、弱者の差別であり行き着くのはナチスの思想です。里見氏は最も公平な基準は「年齢」だと断言しています。
一定の年齢に達すると、「延命治療」はしないというルールを国家レベルで作り、それに違反する者に対しては、治療をする側にもされる側にも罰則を設けるのです。もちろん、苦痛を最小限にする「対症療法」はどんな人に対しても公的保険で行いますが、治癒や延命を目指す治療やそれに必要な検査は禁止します。癌検診を禁じるのはもちろんのことです。この提言の大胆なところは、高齢者への延命治療は自由診療にするのではなく一律に禁止するという点です。里見氏は75歳が妥当な線引としています。元気な高齢者は応援し、病弱な高齢者も苦痛を取り除く点で、「姥捨て山」とは異なります。怪しげな民間療法が延命治療を受けられない人を食い物にする懸念はありますが、大筋で正鵠を射ていると思います。「年寄りは死ねというのか」という批判が出るでしょうが、「年寄りから順に死ぬ社会」のほうが、「貧しい者や弱者から死ぬ社会」より健全であり、私はそのような社会で年老いたいと思います。医学の進歩がもたらしたジレンマにどのように立ち向かうか、いい加減に覚悟を決めなければならない時がもうそこまで来ています。
院長 笹壁弘嗣
新庄朝日第779号 平成27年12月15日(火) 掲載
・過去に新庄朝日等に掲載されたコラムがご覧いただけます。