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院長コラム

Vol.169 「彼女は安楽死を選んだ」の衝撃

 6月2日に放送されたNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」は、神経難病である多系統萎縮症の52歳の女性が、スイスで安楽死を遂げるドキュメンタリーでした。3年前に全身の筋力が低下していく原因不明の病気と診断され、自分らしく生きることができないことに絶望し、自死もできないため、海外での安楽死を選択したのです。

 私が受けた最大の衝撃は、彼女が安楽死を選ぶにはあまりにも元気なことです。排泄はオムツ、食事と会話は少し不自由ですが、認知機能も保たれて二人の姉とのコミュニケーションは問題ない状態でした。多系統萎縮症の患者さんは、私も数人受け持ちましたが、進行すると食事はもちろん、呼吸も自力ではできなくなることがあります。その際には、経管栄養や呼吸をするために気管切開が必要になり、最終的には人工呼吸器に繋がれることもあります。安楽死を担当したスイス人医師も、自国の患者であれば安楽死の適応にならないと話していました。彼女も日本で同様のことが可能なら、このタイミングで安楽死をする必要はなかったのでしょう。

 もう一つの衝撃は、彼女が致死薬の入った点滴の栓を開くところから意識がなくなり呼吸が停止し、医師が死亡を宣告するところまでを、NHKがほぼノーカットで放送したことです。人の死を目の当たりにする機会が少ない現代の日本人にはショッキングな映像だったのではないでしょうか。

 疑問もあります。これは我が国で言う積極的な安楽死というよりは、医師による自殺幇助だと思います。番組中で日本では積極的な安楽死はできないと述べられていましたが、東海大学事件で横浜地裁は積極的な安楽死が認められる4つの要件を示しており、積極的な安楽死が絶対に不可能というわけではありません。もちろん彼女はこの要件を満たしてはいませんが。一方、今回行われたような医師による自殺幇助は認められていません。

 もう一つ気になったのは、日本側の医療者が全く登場しなかったことです。診断には間違いないでしょうが、今後の見通しや新しい治療法の可能性、そして、自分の患者が他国での自死を選ぶことをどのように捉えているのかは知りたかったところです。取材を拒否されたのでしょうか。

 すでに気管切開をされている同じ病気の同年代の女性が、人工呼吸器をつけることを選択する場面が比較対象として描かれていましたが、これは良かったと思います。この患者が、人工呼吸器をつけてでも生きていきたい理由を聞かれたときの答えは、「家族との何気ない会話をしたい」でした。一方自死を選んだ彼女の最後の言葉は「ありがとう」で、それに対する姉の返事は「ごめんね」でした。どちらも印象的でした。

 この番組は、一般人から好意的な、医師からは批判的な感想が多いようです。私は今までにない試みをしたNHKを是とします。ただし、自死と延命のどちらかが正しいということではありません。積極的な延命治療については、末期癌や食事が摂れなくなった高齢者の認知症では、私は否定的な考えを持っていますし、自分がその立場になっても迷うことはないと思います。ただ、神経難病になった場合はどういう選択をするかは正直わかりません。今のところ食べられなくなったら、治療の終わりかなという漠然としたイメージはあり、自ら餓死を遂げることができればよいのですが、自信はありません。

 大事なことは答えを知ることではありません。我々は自分の問題として死についてもっと考えるべきです。答えはきっとないのです。大事なことは、問いを立てることなのではないでしょうか。今でもこの番組はYou Tubeで視聴可能です。50分、インターネット環境があれば無料です。是非視聴してください。そして悩んでください。

院長 笹壁弘嗣

令和元年7月1日(月)

・過去に新庄朝日等に掲載されたコラムがご覧いただけます。