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院長コラム

Vol.172 認知症患者には自己決定権はないのか

 認知機能が低下した高齢者は、物を飲み込む機能が衰えることが多く、そのままでは栄養が不足して衰弱が進み最終的には死に至ります。それを防ぐために経管栄養を行うことがあります。経管栄養には大きく分けて、鼻から細長い管を胃にまで入れる経鼻胃管と、内視鏡を使って上腹部から直接胃に短い管を入れる胃瘻(いろう)があります。前者は、簡単に始められますが、挿入する際の苦痛が強いだけでなく、日頃の不快感もあるので、ある程度意識があり、手が使える患者は抜こうとします。医療側としては抜かれると困るので、可能性が高い場合には医療用の手袋を着けて指が使えないようにしますが、それでもダメな場合はベッド柵に手を縛ることもあります。一方、胃瘻は造設時のリスクは経鼻胃管よりありますが近年は安全性も高くなり、日頃の苦痛は経鼻胃管より圧倒的に少ないので抜去されることも稀です。チューブの交換の頻度も少ないので、長期的な経管栄養の経路としては優れています。

 昨年もこの問題には触れましたが、近年胃瘻は忌避される傾向にあります。データはありませんが、それを補うように経鼻胃管による経管栄養が増加しているようです。個人的には、意識がある状態での長期に渡る経鼻胃管の留置は、自分が受けたくない医療行為の最上位に位置します。苦しいけれど逃げるすべはない絶望だけが続くと私なら感じるでしょう。私は回復の見込みがない場合は、あらゆる経管栄養は受けないと書き残していますが、このような事前指示書(リビングウィル)があるからと言って安心はできません。

 医療現場での意思決定権は患者自身にあるのが原則で、これは1981年の「患者の権利に関する世界医師会のリスボン宣言」にも明示されています。ところが、患者の認知機能が低下すると、治療方針は家族の意向が優先されることが多いのが現状です。そのような状況では、「ご本人に決めてもらうのが最善なのですが、現状ではそれは無理のようです。ご家族がどうしてほしいかではなく、ご本人が意思を明確にできるのであればどうしてほしいとおっしゃるかを思いやって考えてください。」と私はお話ししますが、実際には家族の中で発言力のある人の意向で決まることのほうが多いように思います。

 認知機能が低下した患者には、治療方針を自分で決める権利(自己決定権)はないのでしょうか。確かに、意識が全くない場合は不可能ですが、認知症の患者さんの反応は十人十色です。認知症があっても、それなりに意思表示ができる人は少なくありません。正常と異常との間に明確な線を引くことは多くの場合できないのです。実際、高齢者医療の大家である大井玄先生は、認知機能の低下した高齢者の80%が胃瘻造設に対して即座に拒否したと報告しています。それほどはっきりとではなくても、経鼻胃管を入れるときの苦痛の程度や、自分で経鼻胃管を抜いてしまうという行為から総合的にその患者がどれくらい嫌がっているかは推測可能だと思います。自分の身体に関することについて、「快」と「不快」あるいは「好き」と「嫌い」を表明することは、多くの認知症患者が可能であり、なおかつ尊重しなければならないのではないかと思います。

 回復の見込みのない高齢者が、ある程度意識と身体機能が保たれている場合に、長期生存のために半永久的に経鼻胃管を用いて、身体抑制を行ってまで栄養を投与することは、虐待行為以外の何物でもないと思います。

院長 笹壁弘嗣

令和元年10月1日(火)

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